純文学1000本ノック

ただひたすらに純文学の読書感想を並べていきます。

坂口安吾『堕落論』 人間の実相と日本人の堕落の必然性 純文学1000本ノック 25/1000(番外編)

どうも、こんにちは。

コロナウィルスが世界を賑わせているので、お家で自粛しつつ、本を楽しんでるよ。

今回は番外編ということで、坂口安吾の有名な『堕落論』について。これは非常に当時センセーショナルで今なお有名な評論だ。

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 1.読後感

従来の価値観を根底から覆すような感覚で、当時の人たちがこれを読んで、どんなに衝撃的だったか、想像してみると面白い。

 

2.ザックリあらすじ

今回はあらすじと言うよりは内容について

堕落論は、『堕落論』と『続堕落論』の二部構成となっており、

堕落論』においては、大まかな主旨を攻撃的な文体で語っている。

”戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。”

これは当時、終戦から半年という時間が経ち、世相が変わり、人々は戦時中よりも比較的自由に生きるようになった。例えば、徴兵されていた青年らが闇屋になったり、夫が戦死した未亡人が新しい人を想うようになったり、坂口はこれらのことが堕落だと糾弾される世の中において、人間の実相とはそういうものであり、武士道などは政治や軍人の民衆を都合よく束縛する為だけのもので、堕落こそが人間であるということを主張している。

そして、『続堕落論』においては、より政治のからくりや人間の実相に踏み込んでいる。

戦時中にもてはやされた「農村文化」は、耐乏・忍苦の精神と言われていたが、そもそもそれらは村社会に蔓延る悪徳で、進歩を求めるのであれば、何の発明も成しえない最も反対側に位置するものだとバッサリと切り捨てている。そして、坂口によればそういった「農村文化」や天皇制を持ち出すのは時の政治や軍部が国民を支配し、使役する為の集うの良い存在にすぎないと考えているのである。

真に日本に必要であることは、日本国民、個々人がそういったしがらみから解放され、堕落を経験することで、人間本来の実相を見つめなおし、限界まで行った上で新しい先進的な制度の母胎となることだと説いている。

 

3.考察

堕落論は、恐らく現代日本社会にも十分通用する破壊力を持った評論であり、戦後に坂口が「天皇制」や「農村文化」を批判したように、同じ論理で現代日本になお蔓延る「モラル」や「正義」「同調圧力」というものを批判出来るであろう。

しかし、私はこれらのものがインターネットの登場により、破壊されつつあると感じる。ただ、それはあくまでも現在はメジャーではなく、マイナーな存在で、表の世界(現実)では冷め切った制度や感性が残っているのではないだろうか。例えば、有名人の不倫に対する世間の「正義・モラルを振りかざした批判」や、結婚や出産、家、会社における「同調圧力」など、こういったものは依然として日本社会に根差した癌となり、個々人が堕落し制度の母胎が出来ることを、日本は今も成しえていないのである。

 

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