純文学1000本ノック

ただひたすらに純文学の読書感想を並べていきます。

純文学1000本ノック 3/1000 川端康成『雪国』 究極の審美眼を持った島村の悲哀

 

お久しぶりです、こんにちは。

 

今回は 川端康成の『雪国』を読んでみたよ。

 

 

1.読後感

 

綺麗な空想の中に自分も入り、そのやるせなさ(徒労)を島村と一緒に感じているみたいだ。島村の「徒労だね」という言葉の通り、終わりの見える情事(妻と子がいる為、結婚などの形式で何らかの関係を結ぶことも出来ない)に駒子が燃え上がれば燃え上がるほど、虚しさを感じられずにはいられない。

 

2.ザックリあらすじ

 (1)2度目の訪れ

物語は汽車が国境のトンネルを抜け、雪国へと入る場面からスタートする。汽車の中で島村は必死に病人を甲斐甲斐しく看病する娘(葉子)の様子を窓ガラス越しに見つづけ、その幼さの中に母のような愛情を見出す。同時に、彼女の顔と重なるともし火に妖しい美しさを感じる。宿に着くと、去年お互いに恋心を抱いた芸者の駒子と再会する。(2)「あの時」の回想

駒子と話す中で、「あの時」の回想が始まる。「あの時」は資産家の親の金で半端な仕事をしながら「自然と自身に対する真面目さも失いがち」な島村と、雪国で真面目に芸者をしながら「不思議なくらい清潔」な駒子がお互いに惹かれ合っていく様を描いている(この時点では男女の関係にはなっていない)。

(3)情事

駒子が島村の泊っている宿で行われる宴会に呼ばれたときや、別の宿での宴会が終わった後など、足繁く島村の元を通うようになる。お互いに気持ちがあることを知っていたが、関係を持たずに駒子は夜明け前に宿の人に気付かれないよう帰っていたが、遂に一つとなる。それからは駒子は夜明け間前に帰るようなことも無く、島村の元へ泊まるようになる。島村が帰る際に、葉子が看病していた男(駒子と許嫁のようになっていた)の病状が悪化し、葉子が駅まで呼びに来るが、駒子は島村を見送るため行こうとしない。

(4)最後の訪れ

妻に見送られ、東京を出て再び夏に「雪国」へと向かう。駒子はまた島村のところへ足繁く通うようになる。島村は宿のお手伝いなどで時々見かける葉子の美しい声音や常に必死で緊迫した雰囲気に徐々に惹かれていく。駒子は葉子のことを島村へ話そうとはしないが(どんな関係なのかは結局不明なまま)、宴会の席で給仕をしていた葉子に島村への手紙を遣わす。島村の元へ手紙を届けた葉子は島村と話し、やがて東京に出てみたいと島村に懇願する。彼女は島村の家の女中でもいいと言う。駒子は島村が浮世離れし、自分のように働いて何とか生活していることを笑われていると思って憤るが、冷静になり元の仲に戻る。映画の放映をしていた建物で火事が起き、駒子と島村が駆け付けると葉子が火事に巻き込まれてしまう。天の河が2人の行く末の暗示のように輝いている。

 

3.感想

島村というある意味現代人のように他者に深入りせずドライな人間を通して見られる美しい世界に圧倒されてしまう。彼は「徒労だね」と作中で繰り返し言っている。駒子から島村へ向けられる熱い情愛も島村にとっては何のカタチにも残らなない「徒労」なのかもしれない。しかし、島村自身そうだと分かっていながらも(実際に決別を試みるも)、どうしようもなく一緒にいてしまうという男女の関係の儚さと悲哀に包まれた物語である。言葉遣いは古いものも多く、やや読みにくく感じられる部分もあるが、島村と酔いが回った駒子の会話や島村が見る情景描写は現代の作品以上に軽やかで美しく、日本人である以上、是非一読すべき作品である。

 

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