純文学1000本ノック

ただひたすらに純文学の読書感想を並べていきます。

純文学1000本ノック 23/1000 夏目漱石『吾輩は猫である』 猫を語り手とした痛烈な社会批判と漱石の未来予想図

どうも、こんにちは。

今回は夏目漱石のデビュー作にして、未だ衰えることを知らない明治の大人気小説『吾輩は猫である』。漱石がこれを書いたのが40歳の頃で、それから50歳で亡くなるまでの10年でこれだけ多くの名作を遺したって言うんだから驚きだね。

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 1.読後感
直前までの会合に頭がくらくらしていたからか、結末の悲しさは感じなかった。基本的にはコミカルな作品なので、ぽかぽかした気持ちで読み終えた。漱石はこの猫の目を通して言いたいことを言っていたようで、ある意味臆病だと思っていたけど、最後の会合では人が意見を語り合っていて、真に迫るものを感じた。

2.ザックリあらすじ

(1)吾輩

吾輩、という一人称を猫が語っている。物語はその猫の視点で進んでいく。主人の苦娑弥先生は中学校(現在の高校)の英語の教師である。そのため、猫は他の猫と比べると知的で人間社会などについて鋭い批評をする。

(2)主人の家へ集う人たち

苦娑弥先生の家に集まるのは、頻度で言えば、迷亭(同窓生で美学者)、寒月(元教え子、物理学者)、東風(元教え子、文学者)、独仙(同窓生で東洋哲学者)、三平(元書生、実業家)などである。彼らはそれぞれ個性的で苦娑弥先生の家に集い、いつも話をしている。

(3)寒月くんの恋

ある日、金田という苦娑弥先生の近所の家の鼻の大きな実業家夫人が家を訪れた。彼女は俗世的で金が多い自分の方が身分が高いと思っており、失礼な態度で雑談していた苦娑弥先生と迷亭に挑む。その実、知りたかったのはたびたび顔を出す寒月くんのことで、彼が娘と良い仲らしく、どういう男かというのを探ろうとしに来た。しかし、失礼な態度なので追い出されてしまう。

(4)嫌がらせ

苦娑弥先生の態度に大変憤った金田氏はあの手この手で嫌がらせをする。車屋を使って先生の悪口を言わせたり、近所の中学生たちに悪戯させたり等々。先生は頑固な人でなかなか懲りないが、少しは効いており、独仙氏に相談したりする。

(5)恋の結末

寒月くんは途中からそれほど金田氏の娘さんを想っていないようだった。ある時、彼は自分の故郷に帰り、実家で用意されていた女性と結婚して東京へ戻ってくる。代わりに金田氏の娘さんは実業家の三平が貰うこととなる。

(6)大会合

その恋の行方が分かった日には、いつも集う皆が一度に先生の家に集結し、いろいろな話をしている。遂には未来の話に及ぶ。未来には結婚は無く、死は自殺のみになるという。東風くんが反対の意見を述べたりするが、意見を交わしているうちに夜も更け、皆帰宅する。猫はひとり零れたビールを飲んでみる。酔いが回り、外に出るとふとした拍子に水かめに落っこち、猫は死んでしまう。

3.魅力

基本的な魅力としては、勿論猫を主体とした知的で滑稽な文体で語られることだろう。しかし、私が最も魅力に感じたのは最後の大会合の部分である。未来予想が語られるが、これから(明治以降)は「個」の時代となり、数百年、数千年後にはそれがより先鋭化し、従来の「家」などの概念は全く覆されてしまう。そこで、結婚は個と個のものとなり、成り立たなくなっていくという(特に個の発達した賢い女性とのそれは成り立たないという)。これは全く現代において現れている傾向と一致している。例えば、少子化であり、晩婚化であり、熟年離婚である。また、人々は個のぶつかりに嫌気を差し、神経衰弱に陥り、最後には自殺するという。これは恐ろしいことだが、我々の現実にひたひたと迫っているような気がする。

 

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